工房の窓から見えるのは、一面の田んぼ、そして白馬三山を見渡す絶景が広がる。左から白馬五竜岳、真正面に八方尾根、右に小蓮華山を望む。白馬村大出にある小林馨さん(58歳)が営む「工房コバヤシ」。現在は奥様の幸子さんとともに、革製品を制作している。「持つ人が元気になって、私達の暮らしを思い出してくれるような物づくりをしたい」と話す。
馨さんは東京生まれ。山梨県の電子機器会社で10年間サラリーマン生活をしていた時に、色々な人との縁に恵まれて現在住んでいる白馬の土地を購入したという。
「山登りとスキーがとにかく好きなんです。山梨にいた頃は奥さんと毎週のように信州の山へ来ていましたね」。「衣食住の衣はちょっと無理だけど、食住は自分達でなんとかできるような生き方をしたいなと思っていた」と幸子さんは話す。自宅は基礎工事と屋根をプロにまかせて、それ以外は時々知人に手伝ってもらいながら、自分達の手で家づくりをした。「白馬で安定した暮らしをしていくにはどうしたら良いだろう」と考え、物づくりを身につけるため、東京にあるハンドバッグの製造メーカーに就職した。
「いずれ独立したいという気持ちがあったから、やる気満々で働いていました。バッグづくりの基本や革の特徴など重要な事を吸収することができ、幸せでしたね」と話す。
土・日曜日など休みになれば白馬へ足を運び、時代を越えて使い込まれた古民家の古材などを再利用して家づくりに没頭。家具や調度品までも手づくりした家は「今でも手を入れている所がたくさんあり、完成はないんじゃないかな」と馨さん。バッグ製造メーカーで約10年、ノウハウを学び12年前に白馬へ移り住んだ。
奥様の幸子さんは実家のある東京で仕事を続け、週末だけ白馬へ通う生活がしばらく続いたという。
「東京での医薬品開発の仕事も充実していたし、刺激もありどっちの暮らしも経験できてとても贅沢だった。週末は白馬に帰り、山を見てほっとして、ちょっと休んだりお散歩をしたり、バッグを作ったり楽しかったですよ」。50歳を前に念願の白馬での基盤を作りあげるためにと仕事を徐々に整理し、東京の会社を辞めて4年前に白馬へ生活を移した。
2人が使う革は、植物性タンニンによりなめされた物を染料で染め上げた革で、毛穴が生きて呼吸している。「天然素材でなめしてもらっているから、使い込むほどに艶が出るんですよ」と馨さんは話す。使っていくうちに人の手の油分が毛穴からしみ込む。使う人によって艶や色の出方、柔らかさがそれぞれ違ってくる。
「変化していく“革らしい”革」。染め直しもでき、手入れ次第で永く使える。
バッグや財布に3つに並んだ四角は、白馬三山をイメージしたもの。L“裂織”という着なくなった着物などの古布を細く裂いて織り上げた生地を縫いつけている。現在も馨さんのお母様やお友達が作る裂き織を使用している。
「捨てるのももったいないし、活用できるなら使ってほしいと、譲ってもらう事も多いんです。大切に使ってきたものだと思うと、細く裂くのがなかなかもったいなくてね。でもやっぱりいつかは日の目をみせてあげたいなと思って。色々な人の想いがある布だから」と幸子さん。カラフルでモダンな裂織は革と見事に調和し、再び命が宿る。
春は畑でたらの芽、ワラビが採れる。近所のおじちゃん、おばちゃんが色々なものを持ってきてくれて、その食べ方を教えてくれたり、畑のアドバイスをしてくれる。ペンションやみやげ物店の方々は工房を紹介してくれたりと、白馬の人たちに助けられている。
「ふと白馬の美しい山を見ると、本当に幸せに思う。今、大きな災害の後だけに、ここでの暮らし、バッグを作れる事や、人の縁に感謝する毎日なんです」。
二人で分担しながらの制作。長野県外のデパートなどへの出展も数多くある。
「流行は追わないけど、外に出て感性を高めたり、人との出合いはいい刺激になります。お客さんと直接お会いして、バッグの説明や白馬の自然の素晴らしさをお話したり。工房へ訪ねてくれる人もあるという、今のスタイルをしばらくは続けたい」。
忙しくも圧倒的な大自然に癒され、充実した日々がここにある。
■デパートへの出展予定
船橋東武百貨店 ・・・・・・・4/12~18
京急百貨店 上大岡店・・・・・5/17~22
東急百貨店 吉祥寺店・・・・・5/24~30
広島福屋 ・・・・・・・・・・6/ 7 ~12
梅田 阪神百貨店・・・・・・・7/ 4 ~10 |
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