「創りはじめた頃の人形を見ると、骨格や筋肉の造形などありえない状態なのですが、とにかく人間の形をしたものを創りたかったんだと思います。創っては人形に性格づけをして可笑しなタイトルをつけていました。“意地悪なのに仲間になりたい女”とか“金物屋に走る男”とか」。そう話す戸田澄江さんは信濃町で人形を制作している。結婚後信濃町で暮らして30年という。
「信濃町の中のこの集落のなか、半径100メートルほどの範囲でほとんどの時間を過ごします。畑の作物を覆う土の事を考えたり、ご近所のお庭の花を見たり、道ばたを這うアリやカエルの事を面白く観察しています」。
人形制作を始めたのは20年ほど前。子育ての合間を見つけてできた時間で何か社会とのつながりを持ちたいと考え、最初は小さな動物や家、妖精などを制作して委託販売等をしていた。今のような独創的な人形を創り始めたのは2000年頃から。
「人形の顔は、本当に変てこな顔をしているんです。少しづつ変わってきてはいますが、今も変わらず可笑しな顔です。最近は骨格や筋肉、関節などを意識して造形するので以前よりは人間らしい姿になりましたが、一番最初に創った人形の『おしゃべり』をしそうな感じが今では『沈黙』に変わりました」。
制作は、簡単なスケッチから始める。分からない時は自分の腕や手の動きを見ながら描いたり、旦那さんに「こういうポーズしてみて」と確認をする。ボディは針金で芯を作り、包帯と綿で軽く肉付けする。痩せたミイラのような状態から、石粉(せきふん)粘土で造形していく。彩色はマットな質感で発色が良いアクリルガッシュという絵の具を何年も使っている。
「10数年の間には、制作する上で技法や表現内容など何度か変える事がありました。それまでは衣服等の柄など、細い面相筆で描いていたのですが2006年頃から彫刻刀で“彫り”を加え、彩色の時にできる凹凸の色の変化を試みました。
2008年にはさらに蚊帳等の麻布を貼り、液状粘土で固めてコスチューム等の質感を出しました」。
布のざらざらした凹凸のへこんだ部分に最初に塗った色が出て、乾かしては2回、3回と色を重ねる。そうする事で色の奥行きが出る。
「人形のコスチュームについても造形的に大きく変わる時期にきていると思っています。これまでは人形に服を着せるような造形をしてきましたが、表現するものによっては着ているという事が邪魔になることがあります。内面的なものを表現しようと思ったら服を着ている事に意識がいかないようなものでなければと思っています」と話す。
「時々人形を取り出して眺めると、制作のうえでこの先どうしたら良いのか見えてくる事があります。造形力についてはもちろんですが、『表現する』という課題についてもです。
たとえば花や野菜の種を蒔いたとします。毎日お水をあげて世話をしていると、どんどん大きくなってすごく愛おしく思います。でもその可愛さを粘土で造形しようとするのはとても難しい。世話をして可愛いと感じたのは、成長するという進行形の状態が愛おしいのであって、その事を造形して表現するのは今の私には無理だと思っています。それでは何を表現するかというと“愛おしい”“美しい”“すごい”と感じた自分の気持ちではないかと思っています」。
「私が今この場所に住んでいて、ここで生活をしている。その中でちょっと深く考えた事を表現していきたい。狭い範囲のちいさな事ですが、目に入るものや手に残る感触、深く考えるべき現象という面では事欠かない場所だと思っています」。
ちょっと立ち止まって心に浮かんだ思いを、ゆっくりと咀嚼してみる。面白さは、日々の暮しの中にたくさん転がっている。 |