「蔵に眠っている着物だとか、そういう場所にしまい込んでいる布をそのままにしておいたり、処分してしまったりするのはもったいないなと思って。そういう古布や思い出の生地を使って、バッグを作っています。革と合わせる事によって高級感が出て、丈夫でもあるんですよ」そう話す甕富喜好(もたいふきこ)さんは安曇野池田町でバッグを制作している。
「このお店を初めて3年くらいたったある日、お客さんがスエーデン製の刺繍が入ったきれいな花柄のマットを持ってきて、これをなんとかバッグに仕立ててもらえないかという注文をいただいたんです」と話す。マットを持って来たお客さんをきっかけにタンスに眠っている着物や帯、着なくなったコート、洋服などを素材に様々な形のバッグができあがった。
池田町出身の甕さんは結婚してから、17年ほど東京に住み、3年ほど小さなブティックを開いていた。自分で仕入れた洋服やバッグを販売していたが、その時もお店にはミシンを置き、数点だけ自信で手がけたものもお店に置いていたそう。そのお店に少しの未練はあったものの15年前に池田町のメイン通りにブティックをオープンさせた。今住んでいる自宅を建てる時に、自分のお店を持ちたいという希望があったため、ショールーム的なこじんまりとしたスペースを一緒に作ってもらっていた。家を建てて2、3年は使わずに、がらんとしていたそのスペースに、まずミシンを置き、お店がスタート。最初は仕入れた洋服やバッグが8割だったが、今では全てが手づくりのオリジナルバッグで飾られている。父親が経営していたバッグの会社でバッグを制作していた経験と、5人の子を持つ母親としてのミシンの技術がありバッグ作りの基礎はあった。
「亡くなった母親の着物を使って、形見分けをしたいというお客さんがいらっしゃって、できたものをお店に飾っておいたんです。そういうお客さんの要望があって今のスタイルになったんです。だから最初はこっちから提案したのではなくて、お客さんから膨らみ、クチコミでも徐々に増えていきました」と甕さん。子供が5人いるという事から名付けたお店「オリジナル・ファイブ」には現在、甕さんが私の先生と呼ぶ84歳のベテランの職人竹内和喜男さんと、3年前に新たに加わった37歳の若い高山正樹さんの3人でバッグを制作している。
「やっぱりね技術を高めていかないと残っていけないですからね。若い職人が入ってから紳士物も増えました」。
「ちょっとこれ、直してくれないかな」と男性の訪問。セカンドバッグの内側の生地がベトついてしまい、そこの生地を貼りかえたいのだそう。それからボールペンを挿せる部分を新たに作ってほしいという注文。これを甕さんは一度分解して内側の生地を変えてきれいにしてから、元の形に作り戻す。
「最近は修理もけっこう多いんですよ。結局みなさん、新しいものを買わないで今使っている物を大事にしたいという人が多いんでしょうね。革だと長く長く使えますからね」。
できあがったバッグは写真を撮り、まめにブログで紹介しているのでインターネットで甕さんのバッグを目にする人が多くなり、長野県以外からの注文も増えてきたと言う。
「デザインの要望はお客さんによって様々。その数だけオリジナルなバッグができあがる。それだけ個性的な時代になってきたんでしょうね」と甕さん。
数年前からは年に2回春と秋に松本市で展示会も行うようになった。古布を使ったバッグなど、手づくりの新作バッグが並ぶ。
安曇野のゆったりと流れる空気が流れるお店で、ひとつひとつにストーリーのあるオリジナルなバッグに囲まれ、甕さんは今日もミシン台に向かう。 |